ヒガシノメーコ記

ヒガシノメーコのエッセイや漫画。【毎週 月曜日(イラスト・漫画)】と【隔週 土曜日(エッセイ)】を更新。

2日後、わたしは…

2日後、わたしは誕生日を迎えるんだよな。

……そんなことを考えながら、惰眠を貪った今日。調子が悪かったので、進めたかった仕事も満足に進められていない。夕方になってやっとパソコンに向かうことができた。

 

2日後、わたしは30歳になる

感慨深さこそないものの、20代最後の1年を過ごす中で「自分」についてさまざまな発見をした。

 

たとえば、あらゆることに「こだわり」が強いこと。布団を敷く向き、洗濯物の干し方、皿の置き方にいたるまで、何かと自分ルールがあって、このルールが上手く適応されていないとひどく機嫌が悪くなる。

部屋が汚くなることも嫌いだ。忙しくて部屋がぐちゃぐちゃになっているときなんかは、もう気持ちがダメになる。あるべきところにあるべき物がないと(自分の不注意で動かしてしまうくせに)「なぜ?!」と一瞬気が狂いそうになる。

気になったら気になることをはじめずにいられなく、今やらなくていいこともやってしまう。「◎時に起きて、△△をする」みたいな理想のスケジュールがあるのだけど、ほぼ9割それを実行できなくて再び気が狂いそうになる……を何億回も繰り返している。

 

 

少し話は変わって、最近仕事の関係で「アンガーマネジメント」という言葉に触れる機会があった。これは自分の「怒り」と上手く付き合う方法、怒りをコントロールするトレーニングのことで、教育現場や企業の研修、アスリートのメンタルトレーニングといったあらゆる場面で取り入れられている。

 

なお、自身の「怒りのタイプ」は6つに分けることができる。

このタイプを知ることで、自分がどんな場面で怒りを覚えやすいのかといった傾向を理解でき、怒りをコントロールしやすくなるのだ。そこでわたしも、怒りのタイプを調べてみることにした。

www.angermanagement.co.jp

(メールアドレスの登録が必要ですが、ここが一番簡単に診断できます)

 

▼アンガーマネジメントについて参考

 

 

怒りのタイプには「公明正大」「博学多才」「威風堂々」「外柔内剛」「用心頑固」「天真爛漫」の6つがあり、この言葉からなんとなくどういうタイプかは想像できると思う。そして、わたしは自分の怒りのタイプは「天真爛漫」あたりなのではと思っていたのだが、結果は「博学多才」であった。

 

「博学多才」はとにかく白黒をつけたがる完璧主義タイプである。しかしこの完璧主義が行き過ぎて、優柔不断な人や自分と考えの違う人に怒りを覚えやすいのだとか。

 

……たしかに、と一人納得してしまったし、これは先ほどの「こだわりが強い」という話にも通じるようだと思った。そして、これからもこの完璧主義でイチイチ怒っていたら正直きついし、疲れるし、他人にも迷惑をかけ続けるだろうな、という考えにもいたる。(自分の怒りの傾向を言葉で指摘されると、案外冷静になるんですね)こだわりの強さを直すのには骨が折れそうだが、そういった自分のこだわりや考えから逸れた人・物事に出会ったとき、また思うようにことが運ばない場面が訪れたとき、すぐに怒らない術は身につけた方がよさそうだ。

 

 

アンガーマネジメントについてもう少しだけ話すと、この怒りをコントロールするにはいろんな方法があり、「怒りを覚えたらまず6秒数える」「深呼吸する」といったものから、「とりあえずその場を離れる」「怒りを数値化(スコア化)する」といったものまでさまざま。

ちなみに、わたしが日常的に取り入れている怒りのコントロール方法は、怒りを感じたとき(また、頭がこんがらがったとき)に大きな音で手を叩くことだ。これは自宅でしかできない方法だが、大きな音で手を叩くとストレス発散になるし、なんとなく頭が冷静になる。

 

ところが最近、昼寝をしていたら死んだ父が夢に出てきて「たまに手叩いてる?」とわたしに聞いてきた。わたしの怒れる拍手は、天を彷徨う父の耳にまで届いていたらしい。そんな父にわたしは「あ、あぁ、うん。ときどきねぇ」などと曖昧に微笑んだのだが、怒りに任せて手を叩くのも少し考え物かもしれないと思ってしまった。

 

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そんなこんなで、大きな音で手を叩いて怒りを鎮めるこだわりの強い30歳になろうとしているわたし。もともと「きっと将来はこんな30歳になっているのだろう」といったイメージ像を抱いていなかったので、「思い描いていた30歳と違う!」というように悲嘆にくれることはなさそうだ。

 

1年ほどサボっていた音楽作りを再開したいし、たくさんの本を読み、いろんな作品に触れ、わたしもいろんなモノを作っていきたい。贅沢思考ではないが、生きていけるだけの金があり、健康な体があればといいと、常に考えられる人間でいたい。わたしが目指す30歳の自分は、そんなところだと思う。

 

しかし、そんな「なりたい」を掲げてもスムーズに実行できないのが自分だ。だから無理はしない。なるべく後悔しないようなわたしの好きな人生をこれからも歩んでいこうと思う。

 

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バレンタインを振り返ろう

(今回、はじめてはてなブログのお題記事に挑戦してみます。…今週のお題「チョコレート」)

 

明日はバレンタイン。買い物をするために街に出ると、スーパーも100円ショップもデパートも、どこもかしこも人で溢れている。カフェやレストランではチョコレートドリンク、チョコレートデザートなど、チョコレートが主役となったメニューがアピールされ、どれも美味しそうでたまらない。

そんな中、わたしもデパートでささっとチョコレートをいくつか買った。日頃お世話になっている人にあげるためだ。

 

わたしは栄養や調理を学ぶ短大の出なのだが、料理が苦手である。なかでも、お菓子作りは特に苦手だ。中学生、高校生のときは、周りの友人らの影響を受けてバレンタインのお菓子作りに勤しんだりもした。けれど、よく考えればあのときは母のサポートもあったから、無事完成までこぎつけられたのだろう。しかし成人を迎えて以降、20歳を過ぎてから挑戦したお菓子作りはことごとく失敗している。

ちゃんと膨らまないカップケーキ。まとまりのないポロポロのクッキー。全然固まらないチョコレート―――辛うじて成功しても、何だか見た目が残念なお菓子たちばかりが生まれてしまうのである。

 

それもそのはず。わたしは栄養成分等を学んでいた学生だったにも関わらず、材料を測る際は「大体の分量」で。しかも、砂糖の代わりに人工甘味料(パルスイート)を使う、などというトンデモなお菓子作りをしていたのだ。

お菓子作りは分量通り、決められた工程・時間の通りに作るのが鉄則。じゃなきゃ、膨らむものも膨らまず、固まるものも固まらないのだ。当然、人工甘味料なんて使っていたら、思い通りのテクスチャー・形状になるはずがない。(これらのエピソードは、わたしが短大でちっとも授業を聞いていなかったことを端的に表すエピソードである…)

 

そんな風なお菓子の極意についてはいい加減理解しているつもりなのだけど、やっぱりわたしはお菓子作りに苦手意識があった。そもそも料理やお菓子を作るのが好きかどうか、と聞かれれば別にそこまで好きではないので、ある意味仕方のないことだとは思うのだけど。ただ、毎年バレンタインになると一応”チョコレートを作るかどうか”について考えるのだった。

 

しかし、今年はもうそんなことに悩むことなく、デパートに直行した。こういうご時世もあってか、今年はお菓子を作るとかそういう気分じゃなかった。ここはプロに任せましょう…とデパートに行き、無事美しくラッピングされたチョコレートたちを購入するにいたったのである。チョコレートメーカー・ブランドの皆様、今年もたくさんチョコレートを作ってくれてありがとう。

 

 

ところでバレンタインというのは、誰しもが一つや二つ甘い思い出があるのだろうか?わたしは特段、甘酸っぱい思い出というものはないのだけど、小学校時代、学校では複数の男子にチョコレートをあげるのが主流だったことを思い出した。バレンタインの夜、日ごろ仲の良かった男子の家をはしごしてチョコレートを届けに行くのである。恥ずかしいときは、男子の家のドアノブにチョコレートの入った袋をかけて帰ったりもした。(きっとあのあと、わたしの母が男子の親御さんに電話を入れてくれたのかも)今考えるとちょっとすごいけれど、本命とか義理とか、その辺にあまりこだわりのなかった小学校時代はそういったバレンタインを過ごしていた。

 

ちなみについ先月、小学校時代にバレンタインのチョコレートを献上し続けていた男子の一人と、オンライン飲みで十数年振りに顔を合わせることになった。ひょんなきっかけでオンライン飲み会(人生初)に参加することになったのだが、そのとき友人の一人がその男子を呼んでくれたのである。

彼の顔を見たとき、わたしは、

「こ、これが、かつてわたしがバレンタインにチョコをあげていた男子か…」

―――と思った。…そこにどんな感情が含まれていたのか、詳しくは話さない。ただ、わたしも彼もだいぶ違う場所で、違う人生を歩み、大人になっていて、もう互いに30歳(になる、わたしは来月に)。いろんな年の取り方があるなと、少しだけ感慨深くなったとだけ言っておく。

 

 

そんなわけで、今や日頃お世話になっている方にお礼のチョコを贈呈する機会となっているバレンタインが、今年もやってくる。ワクワクドキドキは全部食欲に変換し、本日の昼食はチェーン展開するカフェでホットサンドと、チョコレートドリンクと、チョコの挟まったワッフルをいただいてきた。……甘い、甘すぎる。終わりのない甘みの海に、隣席の人が啜っているブラックコーヒーを恨めしげに見てしまった。しかし、まあ、これがバレンタインなんだな。とてつもなく甘いそれらをすべて平らげると、急上昇する血糖値に想いを馳せながら、わたしは仕事をするために家に戻った。

 

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