最近のこと
特別なトピックがないので、最近の話を簡単に。
実はありがたいことに、長きにわたって仕事を発注してくれていたクライアントが「一緒に仕事をしませんか」と声をかけてくださり、今月から先方の組織の一員として働くことになった。わたしが個人事業を開業して以来、ずっと付き合いのある気心の知れたクライアントだったし、コロナ以降、本当に収入が安定しなくて困っていたので、それはとても嬉しい申し出だった。もともと組織で働くことが苦手でフリーランスになったため、不安がないわけではなかったが、かなり面倒を見てくれたクライアントということで信頼関係もあるので、前向きに頑張ることにした。
慣れるまではいろいろと失敗があって当然だが、たぶんわたしは先方の予想の上をいく行動を取っているらしいことに大変頭を抱えている。というのも、先方がさまざまな種類の仕事をわたしに任せたいと考えていて、その中の業務の一つに対しわたしは「この業務は経験上自分に向いておらず、先方が期待するような結果は出せない」と判断し、「この仕事はやりたくない」などとハッキリ申し上げてしまったのだ。(しかも言葉が足らなさすぎる)
たぶん先方からすると「エッ?!まだやってみてもないのにもうそんな判断を?!怖っ!!!」という感じだったろうし、わたしの言い分も個人プレーをしていたときのフリーランスのそれ過ぎるし、それ以上にやりたくないことを”やりたくない”とのたまう白黒大好き人間の性が抑えきれてなくて、先ほどの発言を口にしたあと死ぬほど冷や汗をかいた。
当然そのとき、とんでもない空気になったのだが、先方が非常に大人であったのでなんとかなった。(いや、本当なってないのかもしれん)これが新しい生活がはじまって早々に起きたわたしの失敗である。しばらくはいろいろ大変そうだ。
そのほかはこれまでと変わらず、いやそれ以上にうだつの上がらない生活をしていると思う。最近気づいたのだが、やはりコロナの影響でまったく人と会わなくなり、これまでできていたことへの興味やモチベーションが確実に薄れているようだ。人と会うことの刺激がどれほど大切だったか痛感している。こんな状況でもガンガン音楽を作れる人間かと思いきや、案外そういうのが全然できない側の人間でつらい。
だけど、そのたびにわたしは今年2月に亡くなったチック・コリアの言葉を思い出す。(言葉は下記記事から引用)
「私と旅をともにして、音楽の灯りを明るくともし続けることに力をかしてくれた、すべての人に感謝したい。演奏、制作、パフォーマンスしたいと願う人は、それを行ってほしい。自分のためだけではなく、ほかの人のためにも。世界にはもっとアーティストが必要であり、純粋に楽しいものだからね」
この言葉はチックが亡くなる前、Facebookで綴った言葉なのだそうだ。わたしはこの言葉に大変感銘を受け、変な話だが、彼の言う「演奏や意志パフォーマンスをしたいと願う人」側でい続けたいと思ってしまった。そうすればチック・コリアと繋がっていられるような気がするし、音楽を作ることが彼の意志を継ぐ行為であるかのように思えるからだ。たいそうな規模の話になってしまったけれど、この気持ちに嘘はないのでそのまま綴っておく。
”こうありたい自分”、”それができない自分”との狭間でいろいろしんどいけれど、少しずつそれらのすり合わせができたらいいな。