ヒガシノメーコ記

ヒガシノメーコのエッセイや漫画。【毎週 月曜日(イラスト・漫画)】と【隔週 土曜日(エッセイ)】を更新。

オレンジ色の月の思い出

中秋の名月”ということで今週は本当に月が綺麗だった。実は最近引っ越しをし、前回の住まいよりも見晴らしのいい部屋で過ごしているので、月がよく見えた。ベランダに出て月がゆっくりと昇っていく様子を観察した日もあった。

月はオレンジの色味(赤み)が強いときがある。大きくて丸い月が出るとき、そんなオレンジがかった月を見かけることが多い気がする。そういう月を見ると、わたしはいつも「ケンちゃんのお母さん」を思い出す。

 

幼少期、関西で過ごしていたわたしには、幼稚園にケンちゃんという友達がいた。ケンちゃんは、その年頃にありがちな活発で手が付けられないタイプの男の子ではなく、優しくてどこか思慮深さもあった。ケンちゃんは末っ子で、年の離れたお姉さんがいた。このお姉さんもとても優しく、可愛らしいキャラクターがあしらわれたお菓子入りの缶をわたしにプレゼントしてくれたこともあった。(その缶はわたしの宝物入れとなり、砂場で掘り出した小さな貝や、綺麗な色のビービー玉を入れるなどした)そんなケンちゃんのお母さんは、我々が幼稚園に通っているとき、突然亡くなってしまった。

 

ケンちゃんと親しくしていたわたし、そしてわたしの母は葬儀に参列した。その日は雨だった気もするし、晴れだったような気もする。園児だったわたしは”お葬式”が何たるかをつぶさに理解しているわけではなかったが、「お別れ」をしていることは何となく分かっていたのではないだろうか。母に与えられたのど飴を舐めて、なるべく静かにしていたのは覚えている。

葬儀中、ケンちゃんはご家族の誰かに肩を抱かれていた。ケンちゃんは困ったように眉を寄せるような表情をたびたびする子どもだったけれど、その日のケンちゃんはやはり眉を中央に寄せ、俯いていた。

 

葬儀を終えたその日の夜、夜空にはオレンジがかった大きな月が浮かんでいた。母と一緒にその月を見上げていてると、母が「あの月はケンちゃんのお母さんのようだ」と言った。

ケンちゃんのお母さんは、にこにこと温かい太陽のような笑顔を浮かべる素敵な女性だった。そんな彼女の笑顔を月に投影し、「たしかにあの月はケンちゃんのお母さんのようだ」とわたしも頷く。そして今でもわたしは、おぼろげながらあの素敵な笑顔を頭に思い描くことができる。それほどオレンジ色の月は印象的であり、ケンちゃんのお母さんが亡くなったことも深く心に刻まれた。

 

そんなわけで、わたしはオレンジ色の強い月を見かけると、このときの出来事が自然と思い出されるのだ。ちなみに月がオレンジがかる原理と言うのは、大気による影響で、いわゆる朝日や夕日が赤くなるのと同様の原理なのだとか。

ほどなくしてわたしは関西を離れてしまったので、その後のケンちゃんの様子は一切知らない。けれど、この地球のどこかでケンちゃんが同じオレンジ色の月を眺めていたら、ちょっといい感じだなぁなんて考えている。

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憎たらしい虫

就寝時、「プーン」という蚊の羽音が聞こえると、わたしはたちまち眠れなくなった。鬼の形相で布団を跳ねのけると、素早く電気をつける。まずは左右に目を走らせ、敵がどこを漂っているかを確認。

簡単に標的が見つからない場合は、液体蚊とり「アースノーマット」を焚く。熱された薬剤が水蒸気となって薄っすら立ち昇っていく様子を睨みつけながら、耳を澄ます。人を小馬鹿にするような「プーン」の音をキャッチしては両手を広げ攻撃の姿勢を取り、じわりじわりと部屋の中を歩き回った。

 

なお、こういった状況で問題の蚊を仕留められたことは一度もない。大体30分ほど粘り、ついには諦めて再び布団に入るという形だ。しかし、部屋に蚊がいると思うと、布団から手足を出すのが心もとない。絶対に刺されたくないからだ。だから蒸し暑さを感じる中でも薄い布団にくるまるしかない。

さらに、こういうときのわたしは神経が研ぎに研ぎすまされている。特に耳に神経が集中し、少しの羽音も聞き逃さんとばかりに息を殺す。こんな状況じゃ眠れるわけがない。

 

そんなわけで、就寝時に蚊の存在を発見した場合は本当に最悪。全然眠れないし、眠れたとしても睡眠の質はすこぶる悪い。ただありがたいことに、最近ではそんな風に蚊に睡眠を妨害されたことはない。ベランダなどに虫よけグッズを置いているおかげだろうか。

 

じゃあなぜ蚊の話をしているのかと言うと、久しぶりに”刺された”からだ。知らぬ間に侵入したその蚊は、作業をしようとパソコンに向かったわたしの二の腕をメインとした3箇所を味見し去っていった。たっぷりと食事をした蚊は呑気にわたしの周りを漂っていたので、迷いなく両の手で押し潰させてもらった。

それにしても、蚊は柔らかい場所を好んで刺すというけれど、それが昔から不思議でたまらない。柔らかい場所と判断できるのは、そういう場所が分かる本能が備わっているからなのか?においや見た目で察知しているのか?たしか、汗のにおいに寄ってくると聞いたことがあるけれど…そんなこと関係なしに柔らかい場所を刺している気もする。どんな理由があるにせよ小賢しくて許しがたい行動だ。

 

わたしは肌が弱い方であり、蕁麻疹が出やすい体質なので、肌にトラブルが起こったときにミミズ腫れになりやすい。そしてわたしはそのミミズ腫れの見た目が昔から生理的に苦手で、肌がぷっくりと腫れた様子を見ると、ゾゾゾと鳥肌が立ってしまう。(そんな風に肌が腫れるのがショックなのかもしれない)

蚊に刺された箇所が小さなボタンみたいにぷっくりと膨れ上がって来たのを発見し、急いで軟膏を擦り込む。痒みも強くなってきたが、それは軟膏に含まれる強いメントールが押さえつけてくれた。相変わらず蚊というのは憎たらしい虫だが、この手で始末できたことだけがせめてもの救いだろう。

そういえば、今寝室にあるアースノーマット…いつ購入したものだっけ。備え付けの液体蚊とりの使用期限ってどれくらいなのだろうか。念のため、後で調べておこう――そんなことを考えながら、この記事を書いている。

 

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雨のにおい、ミミズのにおい

だいぶ伸び、重く長くなった髪に再び活力を与えるべく、美容院を予約した。パーマをかけるときは、15年以上お世話になっている隣県の美容院にお願いすると決めている。そうして電車を乗り継ぎ、やってきた某駅。構内を抜け、ひらけたロータリーに出たところで、わたしは顔をしかめそうになった。”雨のにおい”がしたからだ。

べつに自分が特別”雨のにおい”が嫌いな人間だとは思っていない。雨が降ったときに、ほんのり木の香りなんかすれば、そのにおいを胸いっぱいに吸い込みたくなる。でもそのとき嗅いだにおいは、わたしの苦手な”雨のにおい”であった。

 

そのにおいを説明するのは難しい。そもそも、このにおいを自覚したのは小学生の頃。当時、通学ルートの一部に、林のような雑多に木や植物が生えまくった場所があった。そして雨が降るとその林からよく件のにおいがしたのだ。

同時に、夏季に雨が降ると決まって「ミミズ」が湧き出た。車に轢かれたりしてペチャンコになった状態のミミズもいれば、一命をとりとめウゴウゴと身をくねらせているミミズもいる。わたしはなぜか、この苦手な雨のにおいを無意識に”ミミズのにおい”だと思っていた。そして現にロータリーに出たときも「あ、ミミズのにおいだ」と思った。

 

つまり、わたしは”ミミズのにおい”が苦手なのである。しかし、繰り返しになるがこのにおいを人に説明するのは難しい。もっといえば、わたしが感じているこのにおいは恐らくミミズから発せられているわけではない。でも、あのにおいがするとやっぱり”ミミズのにおい”だと思い、息を止めてしまうのだ。

ちなみにこのにおい、林などの植物が多い場所から発せられるものかと思えば、ロータリーなど植物があまりない場所からも漂っているという新たな発見もあった。いったいあれは、なんのにおいなのだ。本物のミミズは腐敗臭らしきにおいがするらしいけれど…わたしが感じる”ミミズのにおい”はべつに腐った感じのようなものではない。謎はますます深まるばかりだ。

 

雨に濡れた街に出て大きく深呼吸をしたとき、あのミミズの匂いがしたら…と思うと、わたしはまだまだ「雨のにおいが好き」という人間になれそうにない。

 

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用事があって、久しぶりに外に出た。梅雨は明けたのだろうか。外はかんかん照りで、あっという間に肌の温度が上昇する。ここ数年ずっと家で仕事をしていることに加え、コロナの影響でめっきり外出しなくなってしまったものだから、数分歩いただけで体の重さや体力の低下を実感。恐ろしい。

 

そしてもっと恐ろしいのは、駅までの道を半分ほど来たところで、スマホを忘れていると気づいことだ。急いで来た道を戻る。肌が焼かれTシャツの中に熱がこもり、じわじわと汗が湧き出る。久しぶりの外出は幸先が悪かった。

 

用事を済ませている間も、刺すような日差しとからりとした風が体をまとわりついた。暑くてもいいから早く梅雨よ明けてくれと願っていたけれど、これはこれで…。マスクのせいで息苦しく、街ゆく人の中にはマスクを外している人も散見された。熱中症になっては元も子もないのだから、ある意味それは正しい行動と思う。その一方で、現在も気軽にマスクを外せない状況が続いているわけだから、そんな開放感のある人たちを見かけるとなんだがドキッとする。今の世の中は軽めのディストピア

 

用事、とは家を見ることだった。家の更新月が近づいている。今住んでいるのが騒音万歳の騒がしい物件なので引っ越しを検討している。そこで不動産会社に赴き、もともと目をつけていた物件をはじめ、いくつかの家を内見した。

 

物件までの移動手段は車。不動産会社の担当者が運転する車で移動するのだが、飴やガムがたちまち溶けてしまいそうなほど車内は蒸し風呂状態。コロナ対策で車内の窓を開けているので、クーラーの冷風は窓の隙間から逃げてゆく。ときどきハンカチで額を抑えながら、自己顕示欲が強いやつみたいな夏の存在をビシビシと感じる。暑い。とても暑かった。

 

 

わたしは物件を探したり、見たりするのが好きなので、たとえマッチした部屋に出会えなくても、楽しかったなと思えるタイプ。しかし、そうして内見をする中でものすごい物件に出会った。

 

その物件の部屋の壁には大きく「死ね」と書いてあった。別の壁には「死にたい」「殺してやる」「×月×日に死ぬ」といった言葉が並べられている。壁にはいくつもの穴が開き、壁紙もぼろぼろ。何かをぶちまけた飛沫が天井にまで飛んでいた。あまりの様相に、間違った物件を内見しに来てしまったのかと思ったくらいだ。

担当者によるとこの物件は事故物件ではなく、ただ前の住民が乱暴に住んでいただけ、とのこと。大家は住民が申し込みをするまで(次に誰かが住む、という確証を得るまで)リフォーム・原状復帰をしたくないらしく、内見時はこのようなありさま…らしい。しかしどうなんだ。こんな悲惨な状態の部屋を見て「じゃあこの部屋に決めます!」と判断できるような人って、いるのか。

 

霊感があるとか、そういう話ではないのだけど、わたしは随分前に内見した物件を「ヤな感じだな」と思ったことがある。不動産会社の車を降り、該当の物件を目にした瞬間から”どんより”とした雰囲気を感じ、部屋に入ってからも漠然とした不安をぬぐえなかった。なぜだか部屋が傾いているような気がしたし、その部屋が入っているマンション自体が崩れ落ちてしまうイメージばかりが頭に浮かんだ。そして後から、その物件(マンション)の別の部屋で飛び降り自殺があったらしいということを知った。その事件からはまだ1年も経っていなかったのではないだろうか。当時わたしが内見した部屋とその事件は関係なかったかもしれないが、それでもマンション自体になにか負のオーラを感じ、第六感というのは働くものなんだなぁ…と少し驚いた記憶がある。

 

――今回内見した物件にも、そのときのような第六感的なものが働いた!とはいわない。けれど、やっぱり部屋中にネガティブな空気を感じ取れた。そりゃ誰だって「死ね」だの「殺す」だのと書かれた部屋を見たら、暮らしたい気持ちは失せてしまうだろう。そんな当たり前の感情を抜きにしても、「この部屋では幸せになれない」という気がした。

 

以前その部屋に暮らしていた住人が、結局どのような顛末をたどったのか…クローゼットの中の床に染み込んだ黒い染みや、タバコのヤニによって茶色くなった天井などを見ながら、いろいろと想像を働かせてしまった。壁の字は、10代の子どものような筆跡に思えたし、そうではない気もする。恋の恨み言のような文句もあったし、自分をひたすら否定するような文句もあった。多感な時期を迎えた子どものパフォーマンスにも見えるし、本当に助けを求めて叫んでいる気もした。とにかくもう、そこは本当にネガティブな空間であった。

 

その部屋で暮らす未来が見えなくなったわたしは、不動産会社の担当者が用意してくれたスリッパからサンダルに履き替え、部屋を後にする。そうして再び車に乗りながら、あの部屋の住民があんな状態になってしまったことに、今の情勢が絡んでいたとしたら、少し悲しいなと思った。つまりコロナにより日常が変化してしまったことが、少なからず影響していたら…と思ったのだ。真相は分からないが、あの物件を訪れることはもう二度とないだろうし、あの部屋の住民が決まることはしばらく先のことだろう。

 

 

こうして、わたしの久しぶりの外出は、大変刺激の強い出来事で幕を閉じた。そして、めぼしい物件は見つからなかった。

これからもっともっと暑い夏がやってくる。マスク生活に辛さを感じる場面も増えていくだろう。そして冗談みたいだが、某大スポーツ大会を開催すると言っている。やるせないことばかりだ。けれど、我々はささやかな幸せを感じる自身の生活を守るために、迫りゆく荒波を何とか乗りこなしていかなくてはならない…と改めて思った。物件を内見しただけなのに、大げさすぎか。でもわたしは今日、そんな風に感じた。

 

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THE 父

先日朝のニュースを見ていたら「父の日に、お父さんがもらって嬉しい物ランキング」たるものを発表していた。その1位が「心のこもった言葉、お手紙」的なもので、ええ、ほんまに?全国のお父さん、本当に本当??と、画面を凝視してしまった。

 

もちろん、そういった贈り物が嬉しいお父さんがたくさんいるのは事実だろう。しかしなかにはお気に入りのメーカーのビール箱買いとか、子どものころ夢中になっていた漫画全巻とか、レアプラモデルとか、そういうものを喜ぶお父さんもいると思う。つまり、お父さんの数だけお父さんが喜ぶプレゼントがあるよね。

 

恐らくだけど、うちの亡き父も”心のこもった~”より、そういうモノの方が喜んだのではないかと踏んでいる。(もちろんお手紙でも喜んだだろうけど、なにぶん照れ屋で不器用なおっさんだ。娘の気持ちを逆なでするつまらん冗談でも吐いて喧嘩になっただろう)そこで、いま父が生きていたら父の日に何をあげたかなぁ、なんて考えてみた。

 

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(ちなみに、最近うちの父に似ているなぁ~と思ったキャラクター、モンスターハンターライズの「ゴコク」というおじさん。体型も顔つきも似ている)

 

しかしながら、父が亡くなりもう9年もの月日が経とうとしている。これまで父の日に何を送って来たのか、正直ほとんど覚えていない。ただ、父は送ったものはどんなものでも素直に愛用する人だった。

昔、あまりお金がなかったけれど、父の誕生日にマフラーを送ったことがある。イトーヨーカドーとか、東急とかに入っている、紳士服売り場で買ったリーズナブルな価格のマフラーだったと思う。けれど、父は通勤時に必ずそのマフラーを着用し、長いこと大事に使ってくれていた。(彼が亡くなった後、せっかくなのでそれは遺品としてわたしが持って帰った)

加えて父は贅沢をしない人であり、一つのものを長く使う人だった。そういう父の性格を考えると、ワンランク上の着心地のいい洋服などいいかもしれないし、お昼寝が大好きだったので、気持ちよく眠れる枕や布団なんかも候補に上がる。

 

また父は生前、家のこぢんまりとした敷地内で野菜を育てていた。わたしは、初心者でも簡単に育てられるというバジルでさえ枯らせてしまう人間なのだが、父はナスやらピーマンやらシシトウやらを立派に育て、大量に収穫していた。(それを実家に帰ってきたわたしに大量に持たせた)だから、野菜や植物を育てられるような栽培キット一式を送るというのも、かなりアリだ。

とはいえ、今はコロナ時代。もし父が生きていたら、父と母、猫の慎ましやかな暮らしが繰り広げられていただろう。その中で、母は父に何か趣味を持つように勧めるはずだ。となると、父が家庭菜園のレベルアップを図ることはわりと目に見えている。そのため、もしかしたら栽培キット云々はあまり適切な贈り物ではないかもしれない。

 

父は本の虫なので、本を贈ることももちろんアリだ。何をあげても大体楽しく読んでくれるので、過去にはアーノルド・ローベルの本やドラえもんの漫画などを勝手にプレゼントした。ただ、好きな本はきっと自分で買いに行くはず。だから、電子書籍リーダーを送ったら、喜んで使いこなしていたかもしれない。

 

電子書籍リーダーで思いついたけれど、もしかしたらNintendo Switchなんかもアリかも。「世界のアソビ大全51」という、オセロなどの定番ゲームからニッチな外国ゲームまで入っているソフトがあるのだけど、父なら絶対に楽しめたんじゃないかな。

父が生きていた頃、もちろんスマートフォンもパソコンも普及していたけれど、彼はガラケー愛用者だった。もし生きていたらスマホタブレットの使い方も教えているだろうし、Switchでスムーズに遊べた可能性もある。

 

あとは、お酒を送るのも一つだ。父は家でまったくお酒を飲まなかったけれど、大変お酒好きだった。仲間と飲むのが大好きで、新宿ゴールデン街にはよくお世話になっていたとのこと。晩年、一度だけこのゴールデン街の飲み屋に連れて行ってもらったことがあるのだけど、あのときの父の嬉しそうな、得意そうな顔は今でも覚えている。ほかに、年末年始などの特別な時期に少しだけ父と飲んだことがあるけれど、結局彼と一緒にお酒を飲んだ経験は本当に片手で数えられるくらいなのだ。今ではわたしも少しはお酒を知っているわけだから、美味しいお酒を送るっていうのもいいかも。珍味みたいなおつまみも添えて。

 

植物にも、生き物にも面倒見がいい父。メダカを育てさせたら、めちゃくちゃハマるかもしれない。そして繁殖を成功させ、ものすごい勢いで数が増えていったのではないだろうか。慣れてきたら、ほかの水生物の飼育にも手を広げたりして。子どもの頃、誕生日に亀を買ってもらったことがあるのだけど、大きくなるにつれてその亀の面倒は父が見るようになり(ごめんなさい)、最終的に立派な亀の住処を作ってあげていた。亀も幸せだっただろう。

 

 

こうやって考えてみると、実は父に送りたいものってたくさんあった。そして結局のところ、父は何をもらってもそれなりに楽しんでくれるはずだ。

今彼が生きていたら75歳。今年の11月で76歳を迎えることになる。だいぶおっさんだ。この時代、あの大きな腹で健康に生きていられただろうか…。ちょっとばかし早くこの世界の扉を閉めてしまった父だが、そんな彼にたくさん土産話を持って行けるよう、今日も明日もそこそこ元気に生きていきたい。いい、父の日を。

 

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【サブスク開始のお知らせ】+少しつぶやき

5月からはじまった新しい生活に慣れるのに精一杯で、何かをじっくり考えたり、新しい何かに出会ったりすることが少ない。ただ、何となく「社会」の一員として求められているべきことと、いつも逆方向に舵を切りそうになってしまう、ということには気づきはじめた。(そう、たとえばリモート会議に参加していると、余計なことを言ってしまいそうになるとか…)正直、いつものこと、と言えばいつものことなのだけど。

あとは、相変わらず”文章”にまつわる仕事をしているのだけど、その”文章”へのこだわりの有無や、考え方が人それぞれすぎて、もう卒倒しそうになっている。その辺の話はまた別の機会に書けるといいかもしれない。

 

そんな風で、新しいことがないと言いつつも、一つだけ新鮮なトピックがある。
先月末、5/28にベース弾き語り音源のサブスクを突然開始したのだ。本日はその告知になります。

 

▼人生初のベース弾き語り音源を配信開始!

www.tunecore.co.jp

 

ApplemusicやSpotifyなどはもちろん、幅広い配信サービスで配信していますので、ご利用中のサービスなどがありましたら聴いてみてください。

 

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収録曲は下記のとおりです。

 

【ヒガシノメーコの考え(方) 】
1. ジジィ
2. オバちゃん
3. 皮膚と心
4. 吉田さんの歌
5. カジュアルカースト
(※カタカナ楽曲)
6. ねむる

 

<ポイント>
◎楽曲にはアコベを使用
◎お気に入りの曲は「ねむる」
◎鍵盤のアレンジがどれも素敵…!

 

…ちなみに、
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしの入力ミスによりアルバムタイトルが、

「ヒガシノメーコの考え” 方 ”」

になってしまいました。
一年間はこのタイトルで配信し続けるため、どうか” 方 ”の存在はスルーしていただけると助かります。

 

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そしてサブスク開始時、自分の弾き語りジャンルが分からず、フォークやオルタナティブで登録したんですが…なぜか4~5日ほど、Apple Musicのランキングに入れました。ありがとうございます!

 

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最後に。今回配信を開始したのは、わたしが感じた日々のアレコレを詰め合わせた楽曲になります。

鬱屈としてしまうようなニュースが多く、なかなか前向きになれないこともあると思いますが、個人的にそれを無理にポジティブ志向になる必要はないと思っています。今回の楽曲を通して、そんな”無理しない”が皆様に伝われば嬉しいな。

ぜひお楽しみください!

 

最近のこと

特別なトピックがないので、最近の話を簡単に。

 

実はありがたいことに、長きにわたって仕事を発注してくれていたクライアントが「一緒に仕事をしませんか」と声をかけてくださり、今月から先方の組織の一員として働くことになった。わたしが個人事業を開業して以来、ずっと付き合いのある気心の知れたクライアントだったし、コロナ以降、本当に収入が安定しなくて困っていたので、それはとても嬉しい申し出だった。もともと組織で働くことが苦手でフリーランスになったため、不安がないわけではなかったが、かなり面倒を見てくれたクライアントということで信頼関係もあるので、前向きに頑張ることにした。

 

慣れるまではいろいろと失敗があって当然だが、たぶんわたしは先方の予想の上をいく行動を取っているらしいことに大変頭を抱えている。というのも、先方がさまざまな種類の仕事をわたしに任せたいと考えていて、その中の業務の一つに対しわたしは「この業務は経験上自分に向いておらず、先方が期待するような結果は出せない」と判断し、「この仕事はやりたくない」などとハッキリ申し上げてしまったのだ。(しかも言葉が足らなさすぎる)

たぶん先方からすると「エッ?!まだやってみてもないのにもうそんな判断を?!怖っ!!!」という感じだったろうし、わたしの言い分も個人プレーをしていたときのフリーランスのそれ過ぎるし、それ以上にやりたくないことを”やりたくない”とのたまう白黒大好き人間の性が抑えきれてなくて、先ほどの発言を口にしたあと死ぬほど冷や汗をかいた。

当然そのとき、とんでもない空気になったのだが、先方が非常に大人であったのでなんとかなった。(いや、本当なってないのかもしれん)これが新しい生活がはじまって早々に起きたわたしの失敗である。しばらくはいろいろ大変そうだ。

 

そのほかはこれまでと変わらず、いやそれ以上にうだつの上がらない生活をしていると思う。最近気づいたのだが、やはりコロナの影響でまったく人と会わなくなり、これまでできていたことへの興味やモチベーションが確実に薄れているようだ。人と会うことの刺激がどれほど大切だったか痛感している。こんな状況でもガンガン音楽を作れる人間かと思いきや、案外そういうのが全然できない側の人間でつらい。

だけど、そのたびにわたしは今年2月に亡くなったチック・コリアの言葉を思い出す。(言葉は下記記事から引用)

 

「私と旅をともにして、音楽の灯りを明るくともし続けることに力をかしてくれた、すべての人に感謝したい。演奏、制作、パフォーマンスしたいと願う人は、それを行ってほしい。自分のためだけではなく、ほかの人のためにも。世界にはもっとアーティストが必要であり、純粋に楽しいものだからね」

goetheweb.jp

 

この言葉はチックが亡くなる前、Facebookで綴った言葉なのだそうだ。わたしはこの言葉に大変感銘を受け、変な話だが、彼の言う「演奏や意志パフォーマンスをしたいと願う人」側でい続けたいと思ってしまった。そうすればチック・コリアと繋がっていられるような気がするし、音楽を作ることが彼の意志を継ぐ行為であるかのように思えるからだ。たいそうな規模の話になってしまったけれど、この気持ちに嘘はないのでそのまま綴っておく。

 

”こうありたい自分”、”それができない自分”との狭間でいろいろしんどいけれど、少しずつそれらのすり合わせができたらいいな。

 

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