ヒガシノメーコ記

ヒガシノメーコのエッセイや漫画。【毎週 月曜日(イラスト・漫画)】と【隔週 土曜日(エッセイ)】を更新。

用事があって、久しぶりに外に出た。梅雨は明けたのだろうか。外はかんかん照りで、あっという間に肌の温度が上昇する。ここ数年ずっと家で仕事をしていることに加え、コロナの影響でめっきり外出しなくなってしまったものだから、数分歩いただけで体の重さや体力の低下を実感。恐ろしい。

 

そしてもっと恐ろしいのは、駅までの道を半分ほど来たところで、スマホを忘れていると気づいことだ。急いで来た道を戻る。肌が焼かれTシャツの中に熱がこもり、じわじわと汗が湧き出る。久しぶりの外出は幸先が悪かった。

 

用事を済ませている間も、刺すような日差しとからりとした風が体をまとわりついた。暑くてもいいから早く梅雨よ明けてくれと願っていたけれど、これはこれで…。マスクのせいで息苦しく、街ゆく人の中にはマスクを外している人も散見された。熱中症になっては元も子もないのだから、ある意味それは正しい行動と思う。その一方で、現在も気軽にマスクを外せない状況が続いているわけだから、そんな開放感のある人たちを見かけるとなんだがドキッとする。今の世の中は軽めのディストピア

 

用事、とは家を見ることだった。家の更新月が近づいている。今住んでいるのが騒音万歳の騒がしい物件なので引っ越しを検討している。そこで不動産会社に赴き、もともと目をつけていた物件をはじめ、いくつかの家を内見した。

 

物件までの移動手段は車。不動産会社の担当者が運転する車で移動するのだが、飴やガムがたちまち溶けてしまいそうなほど車内は蒸し風呂状態。コロナ対策で車内の窓を開けているので、クーラーの冷風は窓の隙間から逃げてゆく。ときどきハンカチで額を抑えながら、自己顕示欲が強いやつみたいな夏の存在をビシビシと感じる。暑い。とても暑かった。

 

 

わたしは物件を探したり、見たりするのが好きなので、たとえマッチした部屋に出会えなくても、楽しかったなと思えるタイプ。しかし、そうして内見をする中でものすごい物件に出会った。

 

その物件の部屋の壁には大きく「死ね」と書いてあった。別の壁には「死にたい」「殺してやる」「×月×日に死ぬ」といった言葉が並べられている。壁にはいくつもの穴が開き、壁紙もぼろぼろ。何かをぶちまけた飛沫が天井にまで飛んでいた。あまりの様相に、間違った物件を内見しに来てしまったのかと思ったくらいだ。

担当者によるとこの物件は事故物件ではなく、ただ前の住民が乱暴に住んでいただけ、とのこと。大家は住民が申し込みをするまで(次に誰かが住む、という確証を得るまで)リフォーム・原状復帰をしたくないらしく、内見時はこのようなありさま…らしい。しかしどうなんだ。こんな悲惨な状態の部屋を見て「じゃあこの部屋に決めます!」と判断できるような人って、いるのか。

 

霊感があるとか、そういう話ではないのだけど、わたしは随分前に内見した物件を「ヤな感じだな」と思ったことがある。不動産会社の車を降り、該当の物件を目にした瞬間から”どんより”とした雰囲気を感じ、部屋に入ってからも漠然とした不安をぬぐえなかった。なぜだか部屋が傾いているような気がしたし、その部屋が入っているマンション自体が崩れ落ちてしまうイメージばかりが頭に浮かんだ。そして後から、その物件(マンション)の別の部屋で飛び降り自殺があったらしいということを知った。その事件からはまだ1年も経っていなかったのではないだろうか。当時わたしが内見した部屋とその事件は関係なかったかもしれないが、それでもマンション自体になにか負のオーラを感じ、第六感というのは働くものなんだなぁ…と少し驚いた記憶がある。

 

――今回内見した物件にも、そのときのような第六感的なものが働いた!とはいわない。けれど、やっぱり部屋中にネガティブな空気を感じ取れた。そりゃ誰だって「死ね」だの「殺す」だのと書かれた部屋を見たら、暮らしたい気持ちは失せてしまうだろう。そんな当たり前の感情を抜きにしても、「この部屋では幸せになれない」という気がした。

 

以前その部屋に暮らしていた住人が、結局どのような顛末をたどったのか…クローゼットの中の床に染み込んだ黒い染みや、タバコのヤニによって茶色くなった天井などを見ながら、いろいろと想像を働かせてしまった。壁の字は、10代の子どものような筆跡に思えたし、そうではない気もする。恋の恨み言のような文句もあったし、自分をひたすら否定するような文句もあった。多感な時期を迎えた子どものパフォーマンスにも見えるし、本当に助けを求めて叫んでいる気もした。とにかくもう、そこは本当にネガティブな空間であった。

 

その部屋で暮らす未来が見えなくなったわたしは、不動産会社の担当者が用意してくれたスリッパからサンダルに履き替え、部屋を後にする。そうして再び車に乗りながら、あの部屋の住民があんな状態になってしまったことに、今の情勢が絡んでいたとしたら、少し悲しいなと思った。つまりコロナにより日常が変化してしまったことが、少なからず影響していたら…と思ったのだ。真相は分からないが、あの物件を訪れることはもう二度とないだろうし、あの部屋の住民が決まることはしばらく先のことだろう。

 

 

こうして、わたしの久しぶりの外出は、大変刺激の強い出来事で幕を閉じた。そして、めぼしい物件は見つからなかった。

これからもっともっと暑い夏がやってくる。マスク生活に辛さを感じる場面も増えていくだろう。そして冗談みたいだが、某大スポーツ大会を開催すると言っている。やるせないことばかりだ。けれど、我々はささやかな幸せを感じる自身の生活を守るために、迫りゆく荒波を何とか乗りこなしていかなくてはならない…と改めて思った。物件を内見しただけなのに、大げさすぎか。でもわたしは今日、そんな風に感じた。

 

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