ヒガシノメーコ記

ヒガシノメーコのエッセイや漫画。【毎週 月曜日(イラスト・漫画)】と【隔週 土曜日(エッセイ)】を更新。

最近のこと

特別なトピックがないので、最近の話を簡単に。

 

実はありがたいことに、長きにわたって仕事を発注してくれていたクライアントが「一緒に仕事をしませんか」と声をかけてくださり、今月から先方の組織の一員として働くことになった。わたしが個人事業を開業して以来、ずっと付き合いのある気心の知れたクライアントだったし、コロナ以降、本当に収入が安定しなくて困っていたので、それはとても嬉しい申し出だった。もともと組織で働くことが苦手でフリーランスになったため、不安がないわけではなかったが、かなり面倒を見てくれたクライアントということで信頼関係もあるので、前向きに頑張ることにした。

 

慣れるまではいろいろと失敗があって当然だが、たぶんわたしは先方の予想の上をいく行動を取っているらしいことに大変頭を抱えている。というのも、先方がさまざまな種類の仕事をわたしに任せたいと考えていて、その中の業務の一つに対しわたしは「この業務は経験上自分に向いておらず、先方が期待するような結果は出せない」と判断し、「この仕事はやりたくない」などとハッキリ申し上げてしまったのだ。(しかも言葉が足らなさすぎる)

たぶん先方からすると「エッ?!まだやってみてもないのにもうそんな判断を?!怖っ!!!」という感じだったろうし、わたしの言い分も個人プレーをしていたときのフリーランスのそれ過ぎるし、それ以上にやりたくないことを”やりたくない”とのたまう白黒大好き人間の性が抑えきれてなくて、先ほどの発言を口にしたあと死ぬほど冷や汗をかいた。

当然そのとき、とんでもない空気になったのだが、先方が非常に大人であったのでなんとかなった。(いや、本当なってないのかもしれん)これが新しい生活がはじまって早々に起きたわたしの失敗である。しばらくはいろいろ大変そうだ。

 

そのほかはこれまでと変わらず、いやそれ以上にうだつの上がらない生活をしていると思う。最近気づいたのだが、やはりコロナの影響でまったく人と会わなくなり、これまでできていたことへの興味やモチベーションが確実に薄れているようだ。人と会うことの刺激がどれほど大切だったか痛感している。こんな状況でもガンガン音楽を作れる人間かと思いきや、案外そういうのが全然できない側の人間でつらい。

だけど、そのたびにわたしは今年2月に亡くなったチック・コリアの言葉を思い出す。(言葉は下記記事から引用)

 

「私と旅をともにして、音楽の灯りを明るくともし続けることに力をかしてくれた、すべての人に感謝したい。演奏、制作、パフォーマンスしたいと願う人は、それを行ってほしい。自分のためだけではなく、ほかの人のためにも。世界にはもっとアーティストが必要であり、純粋に楽しいものだからね」

goetheweb.jp

 

この言葉はチックが亡くなる前、Facebookで綴った言葉なのだそうだ。わたしはこの言葉に大変感銘を受け、変な話だが、彼の言う「演奏や意志パフォーマンスをしたいと願う人」側でい続けたいと思ってしまった。そうすればチック・コリアと繋がっていられるような気がするし、音楽を作ることが彼の意志を継ぐ行為であるかのように思えるからだ。たいそうな規模の話になってしまったけれど、この気持ちに嘘はないのでそのまま綴っておく。

 

”こうありたい自分”、”それができない自分”との狭間でいろいろしんどいけれど、少しずつそれらのすり合わせができたらいいな。

 

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地域猫との切ないはなし

最近、夕食時にYouTubeで「猫ヘルパー-猫のしつけ教えます-」という番組を見ている。これは動物専門チャンネルアニマルプラネット”の番組で、アメリカのリアリティ番組として2011年5月にスタート。シーズン9まで続く大人気番組となったそうだ。(2019年にシーズン9が終了した)

 

原題は「My Cat from Hell」――その名の通り、番組に出てくるのは地獄から来たようなクレイジーな猫たちばかり。そんな猫と、猫に手を焼く家族との問題を、猫の行動学者”ジャクソン・ギャラクシー”が解決するのである。

このジャクソンはゴリゴリに刺青の入ったスキンヘッドの大柄な男性で、夜はミュージシャンという意外な一面も持っている。しかし、そんな見た目から想像できないほど猫や人間に真摯で、優しい人柄だ。そんなジャクソンの姿や、彼によって変わっていく猫・家族の様子に、図らずも涙してしまう場面もある。ためになることも多い本当に面白い番組で、初めてこの番組を見つけたときは1シーズンまるまるぶっ通しで観てしまったほどだった。

 

…というわけで現在全話ではないものの、同番組のエピソードが多数公開されているため、わたしはほぼ毎晩この番組を見ながら夕食を取っているのである。

 

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同番組の中でジャクソンは、猫のストレスを発散させたり、猫と飼い主の信頼関係を築いたりするために、よく「羽根つきオモチャ」を使って猫を遊ばせていた。もちろん猫によってオモチャの好みは異なるのだが、この羽根つきオモチャだけは番組に登場するほとんどの猫が夢中になっていた。

 

「なるほど…」と猫に対する新たな知見を得たわたしは後日、100円ショップへ。1個500円の羽根つきオモチャを嬉々として購入した。理由はひとつ――これで近所に住まう地域猫の心をがっちり掴むためである。

 

その数日後、不定期に現れる地域猫たちがわたしの家の近くにやって来た。いつもなら餌をあげるだけで終わるのだが、その日は彼らが食事をしている間にわたしはいったん自宅へ戻る。そして例のオモチャを携えてもう一度彼らの前に現れた。そして猫たちが食事を終えたのを見計らって、このオモチャを見せてやった。

 

目を丸くする猫たち。オモチャをゆらゆらと揺らすと、顔をひきつらせた猫たち3匹のうち1匹、また1匹と離れていった。思ってた反応と違うな…と首を捻りながらも、ジャクソンがやっていたように、オモチャを地面に接地させてから素早く左右に動かしてみる。残った1匹の猫は少しだけ興味を持ち、飛びつこうとする素振りを見せた。しかし最終的にオモチャに飛びつくどころか、突然何かに気づいてしまったかのように目を剥くと猛ダッシュで逃げていった。恐怖心が爆発してしまったかのような反応だ。そうして、猫を喜ばせようとして大失敗したわたし一人だけがその場に取り残されたのである。

 

以来、わたしは地域猫たちにちょっとしたトラウマを植えつけてしまったようで、気軽に彼らが寄りつかなくなってしまった。あの猛ダッシュして逃げた猫なんかは、いつものように近所まで来ても、わたしの姿を見つけると「あなた、あの変なモノ持ってますよね?」と訝しげな目でわたしを見つめ「ナァアア……」と悲し気に鳴くのである。餌は欲しいけど、あのオモチャが怖すぎて無理…という感じで。

 

「猫ヘルパー-猫のしつけ教えます-」によって猫のことを理解したつもりが、逆に彼らに恐れられるようなことをしてしまった。地域猫の反応が悪かったら実家の猫にオモチャを譲ればいいやと思っていたけれど、これ以上猫に嫌われたくないので、このオモチャは破棄しようと思う。そんな最近起こった少し切ない失敗の話でした。

 

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『限界』について

 

SNSやニュースを通して、みんなの『限界』が伝わってくる。

我慢ばかりを強いられる生活に対し、国が出すとんちんかんな措置や命令。一方でこの状況に慣れてしまったことによる弛緩した感染予防意識や反発意識、それに伴う行動も随所で見られる。

本当に誰もが『限界』なんだと思わざるを得ない。

 

コロナがはじまってから、わたしはめっきり音楽活動をしなくなってしまった。その理由はふたつある。

 

まずは経済的な面。

コロナの影響でわたしの仕事の単価はガクリと下がった。収入の安定しないフリーランスとして仕事をしている身なのでこれは手ひどい痛手だ。なぜなら、これまでと同じ量の仕事をしても、実際に得られる報酬はこれまでの半分ほど。正直日々の生活をすることで精一杯なのである。

 

次に気持ち的な面。

感染予防の一番の対策は飛沫防止……つまり人と会わないことである。バンド活動をするにあたって、人と接触することは避けられない。加えてわたしはベースボーカルであるため、歌うことにより、どうしても飛沫感染のリスクを周りに与える(与えられる)可能性が高くなるだろう。

もちろん、ライブハウスなどでは感染対策に非常に力を入れていることは知っている。今や無観客ライブも主流になった。そのうえでも、わたしはやはり可能であればリスクが低い行動を取りたいと思ってしまう。

 

それは自分のためでもあり、周りのためだ。わたしには高齢の母親がいる。幼い姪っ子がいる。今は会う頻度を抑えているけれど、いざというときに駆けつけられる状態でいたいし、その”いざ”というときのためにも、わたし自身が家族たちに安心してもらえる状態でありたいと思っていた。たった一回の接触で家族の誰かを危険にさらしてしまったら…と思うと、やはりバンド活動に踏み出せなかった。

 

また、安全に手放しで活動できない状況の中で、ビクビクしながら音楽をするのはやっぱり嫌だった。きっと楽しめないと思った。こういう感覚は人によるとは思うのだけど、少なくともわたしは今の状況で音楽を楽しむのは難しい。

※現状、ワクチン接種完了や、よりたしかな治療レギュレーションが確立されることが、”安心して活動できる”というわたしの中の指標です。

 

―――こういった背景もあって、わたしの所属するバンドは今活動できていない状況にあるし、こういう状況にしている大きな要因はわたしにあるだろう。

メンバーの中には音楽を仕事にしている者もいるので、生きていくために当然そういった場に出なければならないことも多い。だから、わたしと比べれば安全に活動を行なう自信もあるだろうし、考え方も180度違っているのだと思う。

かたやわたしは一日家に籠って仕事をしているような人間だ。家族を除けば人ともほとんど会わない。そんな人間からすると、安全に音楽活動を行なうというのは非常にハードルが高く、(上記のような理由で)気持ち的な不安はどうしても除けないのであった。

 

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今年に入り、わたしは友人とリモートで作った弾き語り音源をお客さんたちと視聴する、という配信を行なった。(バンドとはまったく別の活動である)これを皮切りに、2021年からはやはりできる範囲で音楽を頑張ろうと思い直したのだ。バンドメンバーたちには長いこと音源づくりを待たせてしまっており、かなり申し訳ない思いだったが、4月末に楽器だけを合わせるためにスタジオに入ろうという予定でもいた。

 

しかし、4月に入ると変異株の著しい蔓延やまん延防止等重点措置の実施などにより、一気に旗色が悪くなった。わたしはスタジオ練習の中止を提案、替わりにそれぞれが録音した音源を組み合わせ音源制作をしようと提案した。メンバーたちはその提案を受け入れてくれたが、やはりお互いの考え方や意識が大きく異なっていることもあり、その日の話し合いはお世辞にも気持ちの良い空気とは言えなかった。

 

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話題は少し変わり、先日SNS「今活動しているバンドマンたちは、ライブハウスを助けている。素晴らしい」というようなツイートを見かけた。(細かいところまでは覚えていないが、大体このような内容)たしかにその通りだと思う。しかし一方で、わたしが要因でうちのバンドはこの「今活動しているバンドマンたち」にカウントされておらず、そしてSNS上では限られた範囲の中で音楽活動を行なう人たちの様子やお客さんの反応が流れ……たとえ自分が原因だとしても、音楽が行なわれている現場と自分との乖離がどんどん生まれていくようで、非常にぐったりとしてしまった。

 

わたしはわたしで『限界』を感じているようである。

 

ただひとつ言えるのは、この話の中で誰が正しく、誰が悪いということはない。それぞれ置かれている状況も人間性も、時間を共にする仲間たちも、なにひとつ違うのだから、相応の生き方や活動の仕方があって当然だ。しかしその”違い”によってお互いに神経をすり減らしてしまう。遠慮し合っても、感情をぶつけ合っても、同じ方向を向けないことがどこか後ろめたさなどに繋がってしまうのだ。だからわたしは今すこし疲れている。そしてこの記事をまとめながら、少しSNSから離れてみる生活もいいかもな、と思ったところだ。

 

要領を得ない話ではあったが、現状わたしが感じている『限界』について発表させてもらった。とにかくわたしはまた、たくさんの大切な人たちと楽しく笑顔で再会したい。そのために、わたしができる範囲のことを、できる限りやり続けたい。

 

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